日语诵读文选第20课
童年时代
柏原兵三
【诵读选篇】
父の書斋の机のひきだしには、ときどきめずらしい食べ物があった。父は朝六時半には起きて朝食まで書斋に閉じこもって本を読んでいた。書斋に入って一時間するのと、母がコーヒー过1を入れていく。そんなとき、父はそれを母と二人だけで食べるらしかった。それは舶来のチョコレートだったり、チーズだったり、ビスケットだったりした。日曜日の朝など、母は父に特に頼んで、父の書斋を退出するとき、それらを少し分けてもらってきて、私たちにおすそ分けしてくれることがあった。すると、それらはわたしたちに、世の中にこんなにおいしいものはないいと思われるような味がするのだった。
父の書斋に入ることは厳重に禁じられているにもかかわらぷ、わたしたちは時々父の書斋に忍び込み、父の書斋を「探検」した。そんなときは必ず書斋の机のひきだしを開け、どんなお探をいしいものがしまわれているかを確かめたが、それを食べる勇ゆうき気はなかなか出なかった。
父の書斋に忍び込んだとき、わたしは必ず、いつも父の大きな机の右のすみに置かれているウェブスターの辞書®をそっと広げて、グラビアの図版をながめて楽しんだ。その辞書をわたしは本の王様とよんでいた。そんな大きい厚い本をもっている人は、どこを搜してもいないのだ、父だけがそんなすばらしい本をもっているのだ、そして父だけがこの本に書かれてあることを全部知っているのだ、とわたしは信じていた。
図版の大部分は、目の覚めるように美しい天然色の写真だった。各国の旗·勳章·統器、飛行機や自動車の歴史的変遷、鳥·魚·ちょう·花·貨幣、--わたしの目を楽しませてくれる図版の種類を、その辞書は無限に蔵しているように思われた。
しかしあるとき、わたしは、図版を見て楽しむほかに、この辞書の重大な利用価値を発見した。この辞書に花びらをはさん!らすばらしいおし花@ができるだろうと思っていたのである治郎兄さんが夏休みの宿題におし花をしたのを見てから、わたしはおし花の美に自覚めていた洋そしてまねをして自分でも試みたが、わたしのもっている絵本の類では、幾冊重ねてもおしの効果があがらないので、兄が作ったようなきれいなおしができたためしがなかったのである
わたしは、さっそくその思いつきを実行に移すことに決め睡へ行って、花びらの種類をできるだけたくさん集めてきた。;してそれらを、ウェブスターの辞書の中に種類ごと"に分けてはさんだ。-﹣十日ぐらいわたしはそのことを忘れていた。い出したときわたしの胸はたちまち期待にふくらんだ。今1こそおし花の成功疑いなしと思えたからである。わたしはそと父の書斋に忍び込み、ウェブスターの辞書を広げ、花びらをさんだページを搜したが、それは意外にもたいへんな仕事だた。しかし、ようやく真紅のばらの花びらを数枚はさんだベジを見つけたとき、わたしは、思いもかけなかった失敗を発し、おそろしさに一瞬目の前が暗くなってしまったほどた®、一花びらの色が花びらの形そのままに、ページにきりと写ってしまっていたのである。
おし花は申し分なくよくできていた。その点でわたしの見みに狂いはなかった。しかしこのくっきりとついていたしを父が見つけたら--。父がたいせつにし、自慢にしていの辞書に、わたしがそんなきずをつけてしまったことが発覚たらどうしよう。わたしは、ほかの花びらがはさまれてい。ージを搜した。しかし花びらをはさんだページは、どの心も無事ではなかった。ただいちばんくっきりと色がついてしったのは、真紅のばらの花びらをはさんだページだった。ゴム消しで消したら消えないだろうか、という考えが浮かんできた。わたしはその考えにとびついて、机の上のペンざらにあるゴム消しで消してみたが、色はいっこうに落ちなかった。そればかりか、ゴム消しで強く消しすぎたために、紙が少し破れ田子しまった。ああどうしよう、とわたしは思った。わたしは絶ぜっーこんせき望的な気持ちで辞書を閉じ、ゴム消しのくずを吹いて、痕跡をとどめないように注意したのち、回収した花びらをてのひらにのせて、父の書斋をそっと出た。今となってみると®その花びらがにくらしかった。捨ててしまいたいほどだったが、それもおしく、わたしはそれを目にふれる所から遠ざけたいばかりに、わたしがいちばん読みそうにもない絵本の中にはさんだ。
「鬼の結末」による
【作者介绍】
柏原兵三(1933年一1972年),小说家。出生在日本千叶县。作者擅长运用素淡的文体、私小说的写作手法。主要作品有「徳山道助の帰郷」、「小さな石の物語」等等。
【参考译文】
童年时代
父亲书房的书桌中偶尔会有些稀罕的食物。父亲早上六点半起床,早饭前在书房中闭门读书。进书房一个小时后,母亲会冲上咖啡送进去,好像在那时,父亲才会同母亲二人一起吃那些东西,那是进口的巧克力、奶酪、饼干等。有时,如星期天的早晨,母亲会专门征得父亲同意,从书房出来时,稍微要些食品让我们分享。那些食品让我们感觉到,仿佛这就是世上最好吃的了。
进父亲的书房是绝对禁止的。尽管如此,我们偶尔也会偷偷地溜进父亲的书房去"探险"。那时,必定要打开书房的书案抽屉,看看究竟放着些什么好吃的。至于去吃它,倒是怎么也鼓不起勇气来。
每当我偷偷溜进父亲书房时,总要悄悄地打开那本韦伯斯特百科大辞典,看里面的照相版插图玩,它一直放在书桌的右边。我把那本辞典叫作书大王。我想无论在哪儿,再也找不到拥有那么大、那么厚的书的人了,只有父亲才拥有那么漂亮的书,而且也只有父亲才懂得书中的全部内容,对于这一点我是深信不疑的。
辞典中的大部分插图是鲜艳夺目的天然色彩照片,里面有8国的国旗、勋章、枪支,还有飞机或汽车的历史变迁,鸟、鱼、蝶、花货币等,那本辞典里似乎蕴藏着无数能使我大开眼界的插图。
不过有一次,我除了看插图玩以外,还发现了这本辞典的重要利用价值。我认为在这本辞典中夹入花瓣的话,可以做出很漂亮的干花来。自从看到治郎哥哥在暑假作业本中制作的干花后,我便发觉了干花的美,并且也想学样试着做做。但是,靠我手里的那种画册就是再叠上几本也不会产生出重量来,所以,还从未做出票哥哥做的那样漂亮的干花来。
我决定马上将这发现付诸实施,先在庭院中大量采集多种花瓣,并将那些花瓣按种类夹到了韦伯斯特百科辞典中去。约过了十天,我已忘了那件事情,等想起来时,突然心中充满了希望。因为这次做干花是成功无疑了。我偷偷潜入父亲的书房,打开韦伯斯特百科辞典,寻找夹有花瓣的书页,意想不到那竟是件非常麻烦的事。然而,当我好不容易找到夹有数枚通红的蔷薇花瓣的书页时,却发现了意外的失败,一种恐惧感顿时使我眼前发黑。-﹣花瓣的颜色和形状清清楚楚地印在了书页上。
干花是无可挑剔的,做得很好。在这点上我的估计是正确的。不过,这轮廓清晰的痕迹被父亲发觉的话﹣﹣父亲是那样珍惜并引以为豪的这本辞典却被我弄脏了,他发觉后会怎么样呢?我找了夹有其他花瓣的书页。虽说夹着其他花瓣的书页并非都没事,但印出十分清楚轮廓的,只是夹有通红蔷薇花瓣的那页。突然想起也许用橡皮能擦掉吧。我马上行动起来,用桌上笔盘中的橡皮擦了擦,颜色一点儿都擦不掉。不仅如此,橡皮擦过了头,反而纸张稍有些擦破。哎!怎么办呢?我怀着绝望的心情合起了辞典,吹掉橡皮屑,尽量不留下痕迹。随后,把收回的花瓣托在掌心里,才悄悄溜出了父亲的书房。现在看来,那些花瓣真令人讨厌,几乎想把它们都扔掉。但是,扔了太可惜,为了让它们远离我的视线,所以就将它们夹到了我最不想看的画册中去了。